初夏の今

　　　梅雨らしい雨は夜に集中した為
　　　昼間はその湿気を含んだ強烈な暑さが蒸し返した

　　　汗が瀧のように流れ出すと
　　　首の切り傷へ染み込み疼いた

　　　（薬布も汗でぐっしょりだ…）

　　　瀬八に一言断りを入れ土間から離れると
　　　部屋へ上がりバックパックから手鏡を出した
　
　　　手慣れたように薬布を交換する
　　　剥がしたそれには痛々しい血線が染まる
　　　熟したミミズ腫れのように残る刀傷へ
　　　生暖かい風が触れ染みるように痛んだ

　　　「全然よくならないな…」

　　　現代での治療なら
　　　もう瘡蓋も取れている頃と予想できる
　　　自分ではどうする事も出来ず眉間に皺も寄るが
　　　最近では前向きに思う事ができた

　　　『この傷は堪増との繋がりの証』

　　　それは自分の心に秘めた想い
　　　堪増を含め他人には口にした事は無い

　　　私は堪増が好きだ

　　　しかし気持ちは伝えるつもりはない
　　　無防備に思いのままを吐き出せば
　　　玉砕した後が困る
　　　何よりこの絶妙な距離感も失う事になりかねない
　　　身分違いの異人なら先々を慎重に考えるべきだ

　　　（……それにしても）

　　　出立して数ヶ月経った今も堪増からの便りはない
　　　屋敷には伝報もあるだろうが聞く伝も無い
　　　ここへ住みはじめてから一度も
　　　その敷居は跨いでいないし跨ぎたくもない
　　　好奇な視線に晒されるのはまっぴらだ

　　　連絡が無いのは元気な証拠だと定義付けても
　　　心には晴れる事無い不安が積もる
　　
　　　（手紙くらいくれてもいいのに）
　　　　　…読めないけど

　　　「うわぁぅ…！」

　　　ひんやりとした新しい薬布は
　　　身体を縮こませ首を窄ませる
　　　夏の陽気の怠さが一瞬にして弾けたように
　　　思考はクリアに変わる

　　　（よし！　頑張るか！！）

　　　巻き直した真白な布が反射して眩しく目を細めた





　　　「あねさ～ん！　もう吸い物がありませんぜ！！」

　　　空鍋に杓子を数回叩きながら瀬八が急かす

　　　「今行くわよ！　もう！！」



　　　毎日が満足に休憩も取れぬ慌ただしさと
　　　日に日に深まる夏の暑さに発狂しそうにもなるが
　　　それもしあわせなのだと感じられる
　　　此処に居られて本当によかった

　　　深い深呼吸を一つ吐き出して土間へ向かい
　　　新たな汁を作り始めた





　　　＊＊＊＊




　　
　　　「嬉しく無い悲鳴だわよ！まったく！！」

　　　『喫茶』は予想以上の大繁盛を遂げていた
　　　開店当時は水軍の男達のみだった来店も
　　　うわさや評判が口伝えに拡散されたのか
　　　熊野詣でついでに立ち寄る参拝者が増えてきた

　　　「京でも大層この店が評判でなぁ」
　　　　やっとありつけるな

　　　料理を口にした客は噂通りだと舌鼓する
　　　京で噂などと言われれば嬉しくて頬も綻びるが
　　　口伝の猛威が更に進むのかと思えば気も遠くなる


　　　「明日は三海と波次が手伝いますからねーー」

　　　陽も落ち片付けを始めると
　　　瀬八が意気揚々と言い放った

　　　男達の間で勤務予定が組まれているのだ
　　　清々しい表情の瀬八はきっと
　　　明日、休日を過ごすつもりだろう

　　　自分には？　替えは？
　　　ないよね？？　当然無いんだよねーー！！！


　　　「あーー　明日は休むよ！定休日にする！！」
　　　　それから三日に一度は休むからね！！

　　　キョトン顔の瀬八を尻目に行灯の炎を消した
　　　明日は臨時休業とし、曖昧だった営業時間も決めた
　　　『開いててよかった』精神など更々ない
　　　自分のやりたいようにやる

　　　たった今決めた！　決めてやった！！
　　　　　　　　　ふふふ…
　　　　





　　　　～～～　独り言　～～～

　　　　　人間、休暇は大事